5.ピンポン 音の記憶

オリンピック 卓球ミックス・ダブルス で日本の水谷・伊藤ペアが最強の中国を破り優勝したのは感動した。準々決勝ドイツ戦の接戦もまれにみる好試合だった・

 私は定年後20年ほど卓球を楽しみ友人も多くでき良かったと思っている。

 

 昭和18年2月11日(小学5年生のとき)学校で紀元節(今の建国記念日)の式典があった。現在では考えられないほど先生も生徒も緊張していた。

 校長先生の教育勅語奉読が始まる直前、誰か生徒のポケットからピンポンが落ちたのか、カンカンカンと乾いた音が講堂内に響いた。出席していた生徒は凍り付いた。

 顔を真っ赤にした担任の教師が出てきて、落ちたピンポンを荒々しく踏みつけ、式は続けられたがその後のことは知らない。でもあの音は今でも鮮明に覚えている。

 当時ピンポンは遊び時間に先生に内緒で、机の上で下敷きをラケット代わりに打って遊ぶことがよくあった。見つかったらげんこつものだけれど。

 

 

 

4. 76年前の今日(8月15日)

 正午、蝉が鳴き止むと、しんとした静けさと焦げるような暑さが戻ってきた。

自宅前の空地に置いた古いラジオを囲むように12~3人の近所の人たちが集まった。

終戦詔勅といわれる「玉音放送」は雑音がひどく内容も難解で分かりにくかったが、「~堪へ難キヲ堪へ忍ビ難キヲ忍ビ~」のあたりで戦争に負けたことが判った。

 泣いている人が多かったが、私は中学校での嫌な軍事教練がなくなるかも、とホッと

したことを覚えている。

3.広島被爆76年

76年前、僕は縁故疎開先の小浜中学校1年生だった。

 昭和20年8月8日の新聞記事はいまも記憶している。大本営発表として「8月6日、広島へ敵新型爆弾」との見出しがあり「落下傘つき空中で破裂、残虐な新爆弾」との記事があった。その日は「大詔奉戴日」で登校していたが新型爆弾の話は記憶にない。

2.  新型コロナ

 ぼくは新型コロナワクチン2度目の接種を6月19日に予約している

接種会場が遠いのが難点(このため接種を諦めている人もいる)だが早く済ませることができ感謝している

 副反応については2度目に発熱や痛みがでたという経験者が多くある程度覚悟している 以前歯医者でもらったカロナールを服用するつもりだ

 TV番組コロナ報道でチャカチャカと或いはおどろおどろしい背景音を使っているのは不愉快ですね

 

1 昭和8年生まれ

昭和8(1933)年生まれの僕は敗戦の年は中学1年生だった

5歳上の兄は予科練修生で松山に、父と次兄(大阪大空襲で大火傷)は大阪、母と僕、弟妹5人は縁故疎開先の若狭にいるという一家離散状態(戦時下当時はこういう家族は多かった)あとから考えると家族全員が生き残れたのが不思議だと思うことがよくある。

 8年生まれの有名人

 浅利慶太 池内淳子 伊丹一三 永六輔 扇千景 金田正一 三遊亭円楽 菅原文太 

半村良 藤田まこと ペギー葉山 南田洋子 森村誠一 若尾文子 渡辺淳一 など

 

 

 

 

1 昭和8年生まれ

昭和8(1933)年生まれの僕は敗戦の年は中学1年生だった

5歳上の兄は予科練修生で松山に、父と次兄(大阪大空襲で大火傷)は大阪、母と僕、弟妹5人は縁故疎開先の若狭にいるという一家離散状態(戦時下当時はこういう家族は多かった)あとから考えると家族全員が生き残れたのが不思議だと思うことがよくある。

 8年生まれの有名人

 浅利慶太 池内淳子 伊丹一三 永六輔 扇千景 金田正一 三遊亭円楽 菅原文太

 半村良 藤田まこと ペギー葉山 南田洋子 森村誠一 若尾文子 渡辺淳一 など